ラベリングと不安障害

ラベリング行為は、正のラベリングと負のラベリングで分類できて、かつそれぞれの中で、社会的なものと個 人的なものに分類できます。 そこから社会的不正義を二種類に分類できます。

ラベリング自体は自然なことで、多様化する生き方と社会の中で問題視されないものは、むしろ新しいラベリ ングがどんどん生まれれば、そのラベリングが共有されることでポジティブな影響を社会面でも個人面でも残 すことができます。

でも負の影響を及ぼすラベリングもたくさんあって、それは特定の属性を持つ個人や集団ををアウトサイダー とみなすことも一つの例で、他者に対して負のラベリングをすることで、自分たちの安全・安定を維持できる 犠牲としてアウトサイダーと判断された人を排除しますよね。これは負の社会的なラベリングで、これ自体も 問題とみなせます。・・・(1)

ここから更に、そういう社会的な負のラベリングを自分に貼られることに対して、個人がどういう認知をする か、つまり、社会が自分に下すラベリングを自分がどうラベリングするか、という個人的なラベリングをする 段階で、健常な認知をする人と病的な認知をする人に別れます。

健常な認知とは、その負のラベリングに対して不当あるいは不正なラベリングであると判断してムカつくとか 怒りとかエネルギーのある情動に正常に変換できることです。

病的な認知とは、その負のラベリングを真に受けて、更に自己否定的なラベリングを自分自身に貼ることで、 「誤った認知」のスパイラルに陥り、精神に異常をきたす誤認知の構造が自分の中に出来上がります。(当然 そういう風なスパイラルに陥る原因は、遺伝的な要因であったりこれまでつくってきた自分のパーソナリティ のせいであるとか、一次的なものであれ二次的なものであれ多様で、個々人で違います。)

そうなると、別に負のラベリングを行われていないものに対してでも、自分はダメだ、という誤認をひたすら 繰り返します。そうしてラベリングを拡大解釈してしまい、自殺する人もいます。これが、精神疾患の中で も、社会不安障害や強迫性不安の例の一つです。(うつや環境発症型の統合失調症など疾患の種類によってど ういう個人の内的プロセスで発症するかは異なります。)こういうことをなくすには、個人からのアプローチ= 薬物療法・心理学療法など、と、社会からのアプローチ=不当なラベリングをなくす、とかがあります。・・・ (2)

負のラベリングがもたらすこの二種類の問題があるから負のラベリングをなくせばよい、みたいな安易な言説 で解決にはならないと思いますが。