ソーシャルバブルと社会的排除

高度成長を経て物質的に「豊かな社会」(ガルブレイス)が達成さ れた現 代社会が、ここ数年のソーシャルバ ブルでまさに今情報的にも豊かな社会 に変容しつつある最中ですごくおもしろいと思う。

でも情報的に豊かな社会=精神的に豊かな社会、ではなく、むしろいわゆ る情弱でかつ一部の社会的弱者(精 神疾患などそもそも社会的に阻害され ている社会的弱者)をさらに社会的に排除される社会である一面もある で しょう。 社会のネットワークがますます発展していく中で、単に情報弱者であるか らというわけでわなく、 現在において社会とのつながりを拒絶せざるをえ ない状況にある人間にとっては、気づかないうちに自分と ソーシャルの間 の溝が開き、いわゆる情強とのディバイドが開いていく。正常になり「社 会」に帰還した頃に はそのディバイドに愕然としてどうしようもできず、 社会的に疎外感を催すという再生産ループからぬけだす ことができない。 そうして絶望していった極端な例の一部として日本の人口比自殺率が先進 国比2倍以上とい う現実を構築しているように思います。cf.ヤング「 排除 型社会」「後期近代の眩暈」

そういった意味での階層の下の人たちに、自分の鬱々とした感情が重なる ところがあるので、なんとかしてい きたいのですが、経営学でいういわゆ るデスバレーにおれはいま陥っています。

とうぜん、今進んでいるソーシャルICTの確信に伴うコミュニケーション の純粋関係化(ギデンズ 「親蜜圈の 変容」)はむちゃくちゃおもしろい と思います。でもロールズ的な公正と正義による分配が物質的情報的に達 成される社会になるようにはがんばっていきたいです。